這個月初在日本長崎,發生了小學6年級女生,殺害同班同學的事件.
原本在昨天,被害的御手洗怜美小妹妹的父親,預定要出席記者會.
但由於醫生判斷目前他的身心狀況還沒平復過來,因此是由律師代理出席,
並且代為轉述怜美的父親的手記.
怜美的母親在3年前因病去世了,因此,在手記的一開頭,
便寫到"小怜,你現在到了哪裡呢?大概,已經見到媽媽,現在正在哪兒玩耍吧"
並且回憶那天出門時兩人一如往常的對話,以及對於在母親走了之後,小怜美雖
然身受喪母之痛,卻反過來安慰這個爸爸.甚至必須幫忙作家事,做飯,
對此,父親感到非常地抱歉...
以下為全文:
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さっちゃん。今どこにいるんだ。母さんには、もう会えたかい。どこで遊んでいるんだい。
さっちゃん。さとみ。思い出さなきゃ、泣かなきゃ、とすると、喉仏が飛び出しそうになる。お腹の中で熱いボールがゴロゴロ回る。気がついたら歯をかみしめている。言葉がうまくしゃべれなくなる。何も考えられなくなる。
もう嫌だ。母さんが死んだ後も、父さんはおかしくなったけれど。それ以上おかしくなるのか。
あの日。さっちゃんを学校に送り出した時の言葉が最後だったね。洗濯物を洗濯機から取り出していた父さんの横を、風のように走っていった、さっちゃん。顔は見てないけど、確か、左手に給食当番が着る服を入れた白い袋を持っていたのは覚えている。
「体操服は要らないのか」
「イラナーイ」
「忘れ物ないなー」
「ナーイ」
うちの、いつもの、朝のやりとりだったね。
五人で、いろんな所に遊びに行ったね。東京ディズニーランドでのことは今でも忘れない。シンデレラ城に入ってすぐ、泣き出したから父さんと二人で先に外に出たよな。父さんは最後まで行きたかったのに。なんてね。
でも、本当にさっちゃんは、すぐに友達ができたよな。これはもう、父さんにはできないこと。母さん譲りの才能だった。だから、だから、父さんは勝手に安心していた。いや、安心したかった。転校後のさっちゃんを見て。
母さんがいなくなった寂しさで、何かの拍子に落ち込む父さんは、弱音を吐いてばかりだった。「ポジティブじゃなきゃ駄目よ、父さん」「くよくよしたって仕方ないじゃない」。何度言われたことか。
それと、家事をしないことに爆発した。ひどい父さんだな。許してくれ。
家の中には、さっちゃん愛用のマグカップ、ご飯とおつゆの茶碗、箸、他にもたくさん、ある。でも、さっちゃんはいない。
ふと我に返ると、時間が過ぎている。俺は今、一体何をしているんだ、としばらく考え込む。いつもなら今日の晩飯何にしようか、と考えているはずなのに、何もしていない。ニコニコしながら「今日の晩御飯なあに」と聞いてくるさっちゃんは、いない。
なぜ「いない」のか。それが「分からない」。新聞やテレビのニュースに父さんや、さっちゃんの名前が出ている。それが、なぜ出ているのか、飲み込めない。
頭が回らないっていうことは、こういうことなのか。さっちゃんがいないことを受け止められないってことは、こういうことなのか。これを書いているときは冷静なつもりだけど、書き終えたら元に戻るんだろうな、と思う。
さっちゃん。ごめんな。もう家の事はしなくていいから。遊んでいいよ、遊んで。お菓子もアイスも、いっぱい食べていいから。
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